IMF方式以外にアジアの金融危機を終息させる方法はない 
文芸春秋編 日本の論点´99 

国際通貨基金アジア太平洋地域事務所 
所長  斉藤国雄 

◆ アジアに広がったIMF方式への批判 ◆ 



アジア経済は、1997年(平成9年)夏以来の通貨危機に加え、最近では世紀末アジア大不況とも呼べるような状況に陥っている。このような状況のもとで、IMFは、タイ、インドネシア、韓国等の危機対応策の作成、実施の支援の中心的役割を担ってきた。 

  このIMFの対応ぶりは広く報道され、また、いろいろな批判を受けてきた。「IMF方式はあまりに厳しすぎる。もっと柔軟に適用できないのか、他に方法はないのか」「IMFプログラムは、アジア経済の長期的な強化に繋がるかもしれないが、その前に、アジア経済は壊滅する。IMF プログラムという手術自体は成功するかもしれないが、患者は死んでしまう。アジアが余りに可哀相だ」等々の批判である。このような批判は非常に分かりやすく、特に、我々アジア人にとって胸に迫るものがある。 

  しかし、ここは、冷静に考えて頂きたい。確かに、IMF方式、プログラムは、改善の余地があり、また、その努力が続けられている。しかし、そうは言っても、これだけの大危機を即座に解決する魔術のようなものとか、大病を痛みなしの手術で治す方法がある訳がない。また、現実の対応策として、IMF方式と決定的に異なる方式があるとも思えない。したがって、長年の経験を踏まえ、改良を積み重ねてきたIMF方式以外に、アジア危機を終息させる方法はないと言ってよいであろう。 結論が先になったが、以下に、今回のアジア危機の特徴をまず整理した上で危機への対応ぶりを振り返ってみたい。 



◆アジア危機の三つの特徴 ◆ 



 今回のアジア危機にはいろいろな側面があり、その原因は複雑に絡み合っている。しかし、簡単に整理すると、その特徴として次の三点が挙げられる。 
  第一に、現象面からの特徴として、民間資本の大量流出によるアジア通貨の暴落が挙げられるが、その背後には、これらアジアの国々の銀行等の金融部門の弱体化があった。今回の危機は、まさに、民間資本の流出に伴う通貨危機であり、また、それと関連する金融機関の信用危機であった。 
  第二の特徴として、市場の影響力の増大が挙げられる。言うまでもないことであるが、資本の移動は、市場、より正確には、市場参加者の判断による。この市場がグローバライゼーションの大波の中で巨大化し、大変な影響力を持つようになった。今回の危機が顕在化した97年7 月のタイ通貨の切り下げは、タイ通貨当局が市場に資金的に追い詰められた結果であり、その後、危機が他のアジア諸国にいわゆる伝染を起こしたのも、強大化した市場の影響力を抜きにしては、説明できない。  危機の第三の特徴は、それが、長期的な構造改革との絡みで発生したことである。危機の直接的原因は、アジア経済に対する市場の信頼の低下であった。これは、金融部門の弱体化、その原因となった民間投資の行き過ぎ、またこれを押さえるための景気過熱対策の発動の遅れ等の一連の中期的要因に帰することができる。同時に、信頼の低下は、より長期的な構造改革の実施が遅れたことにも起因する。すなわち、弱体化した金融機関の整理強化、いわゆるグローバルスタンダードの採用、ガバナンス(企業統治)の改善等に正面から取り組むことが求められていたのである。 

◆ 対応策の柱は金融支援と政策調整の実施 ◆ 



 危機への対応は、以上のような特徴に焦点を当てたものとなる。すなわち、大量の資本流出に応じるには、当局も相当の資金を必要とし、また、強大化した市場の信頼回復には構造改革を含む政策調整の実施が重要となる。IMFのタイ、インドネシア、韓国への支援は、まさに、この二点を主たる柱としている。 
  まず、資金面では、三国合計で350億ドルのIMF融資が行われ、これに他の国際機関および日本を含む二国間支援を加えると、未曾有とも言える大型の金融支援パッケージが組まれた。同時にIMFは、これらの国の構造改革を含む政策調整パッケージ(いわゆるIMFプログラム)の作成、実施を支援している。このIMFプログラムの実施、すなわち、ある程度の痛みを伴う自己努力が、金融支援の前提となっている。また、両者を組み合わせることで、信頼の回復と市場安定、それに続く経済再建およびその強化が、迅速かつ着実に進むものと期待されている。  危機の初期段階での各国の対応は、このIMF方式とは異なるものであった。たとえば、タイ当局は、外貨準備および短期借入れで調達した資金を使って、タイ通貨のドルぺッグを維持しようとした。 
  しかし、前に述べたように、このような介入を続けるために必要な資金が底をつき、フロート制に移行することになる。フロート制のもとでは、為替レートおよびそれに連動する金利の動きで、市場の需要が調整される。しかし、危機が顕在化した時点では、時すでに遅しで、市場の信頼は完全に失われており、その調整機能が働く状態ではなかった。政策調整を一つの柱とするIMF方式だけが、唯一の対応策として残った訳である。程度の差はあるが、インドネシア、韓国がIMFプログラムの採用に踏み切った経緯も同様である。 
  その対応策としてカレンシーボード取り決め(より一般的に固定為替制度)を採用すべしとの提言があった。これは、通貨危機の現象面に注目しての提言(為替レートが動くから危機になる)であるが、市場の圧力に耐えて固定レートを維持するだけの外貨がない限り導入は難しく、その意味で危機対応とはなり得ない。勿論、為替レートの安定は、 IMFの設立目的の一つであり、危機を超えての長期的課題である。そのためには、関係国間の政策調整が必要であり、その枠組み作りがすでに検討されている。その他、資本移動等の規制を強化すべしとの提言もあった。しかし、これも、グローバライゼーションの進んだアジア諸国にとって現実的な対応とは言えないであろう。 



◆ IMFプログラム批判に答える ◆ 



 今回のアジア三カ国のIMFプログラムは、構造改革を大幅に取り入れているという面で、非常に厳しく、またそれ故に批判を受けている。しかし、弱体化した金融機関への対処等の構造改革の遅れが危機の一因であり、市場の信頼を回復し、危機を終息させるには、これを避けて通ることはできない。また、同時に留意すべきは、これら三国のいずれにおいても、それぞれの政治プロセスを経て、構造改革に向けての合意が成立していることであろう。構造改革は、市場に押し付けられた面もあるが、それぞれの国にとって本来必要なものであり、この機会に実施しようという合意である。それに向けてのエネルギーの盛り上がりもある。 
  反面、財政金融政策については、IMFプログラムは比較的柔軟である。確かに、プログラム実施当初は、フロート制の下では金利は高めに誘導せざるを得なかったが、市場の安定とともに金利は低下した。財政についても、経済の落ち込みを反映した歳入の低下、あるいは、失業対策費等の歳出の増加を反映するため、数回にわたり修正が加えられている。IMFプログラムの下での過度の引き締めがより深刻な経済の落ち込みを引き起こしたとの批判もある。しかし、これは危機のショックによる投資マインドの冷え込み、および企業整理、失業の増大等の構造改革の痛みを反映しているのである。 
  アジア危機は、その姿を変えつつまだ続いており、アジア経済はいろいろな課題に直面している。特に、市場混乱の再発を防ぎ、経済のこれ以上の落ち込みを避けることが何にも増して重要である。80年代のラテンアメリカ危機の際は、構造改革の遅れ、特に債務問題が民間投資、さらには経済成長の低下をもたらし、いわゆる「失われた10年」という現象が起きたが、これをアジアで繰り返してはならない。紆余屈折はあったが、構造改革は少なくともタイ、韓国では着実に進んでいるし、それに伴い、遠からず景気の反転も期待される。今回のIMFプログラムは、短中期的なマクロ政策の調整のみならず、長期的な構造改革を柱としているが、これが完了すれば、アジア経済は新しく生まれ変わることになる。アジア経済は変わりつつある。その変化にむけてのひたむきなエネルギーに期待したい。