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日本-IMFアジア奨学金プログラム・ニューズレター
JISPA 修士論文発表会
2015年6月23日
vol 10. 2015年 9月
当ニューズレターは年4回にわたり、JISPAの最新イベント、同窓生や現在の奨学生に関する特集記事をお届けします。JISPAは日本の大学院で経済学や公共政策関連分野の研究を望む、アジア太平洋地域諸国の経済関連省庁の幹部候補生に奨学金を供与しています。
JISPAニュースレター第10号では、中国人民銀行の東京事務所前副代表であるワン・ヤージン氏のインタビューを特集します。同氏の前任者シュエ・リュイ氏からも、東日本大震災後の2012年夏の福島県訪問に関する文章が寄稿されています。現役奨学生であるフィリピン国家経済開発庁のニクソン・カボーテ氏のインタビューもお届けします。2015年6月から8月までのJISPAの活動は「JISPAニュース」の項でご紹介します。
JISPA ニュース
JISPA修士論文発表会および卒業レセプション: 2015年6月23日、第3回JISPA修士論文発表会が行われました。各提携大学の代表者とオープントラック奨学生が政策問題に関する論文を発表し、そのテーマは金融政策、貿易、格差、民営化から金融危機の影響にまで及びました。各セッションでは、論文の発表の後、別の提携大学の奨学生1名が弁論し、次いで教授陣またはOAPエコノミストがコメントを述べ、活発な質疑応答が行われました(プログラム参照)。修士論文発表会については奨学生のコメントをご覧下さい。
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同窓生ニュース
私が中国人民銀行東京事務所で働く機会を得られたのはJISPAのおかげです。本プログラムは学術的な知識だけでなく、国際的なコミュニケーションを経験する機会を私に与えてくれました。
ワン・ヤージン氏は、2015年6月まで中国人民銀行東京事務所で副代表を務められました。同氏は、2006-07学年度から2007-08学年度まで日本の国際大学(IUJ)で学びました。
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シュエ・リュイ氏との特別インタビュー
私の心に今なお鮮明に残っているのは、自然災害を受けて困難に直面しても、冷静さを保ち、強い意志を持って立ち向かった日本人の国民性です。日本中で、日本の人々は、略奪や暴力に走ることなく水や食料、物資の支給を受けるため忍耐強く列に並び、また他者を支援して団結力を示しました。
シュエ・リュイ氏は横浜国立大学で学んだ2005-07学年度のJISPA同窓生です。シュエ氏は2009年から2012年まで中国人民銀行東京事務所の副代表を務めました。同氏はその任期中、東日本大震災後の2012年の夏に福島県を訪れました。その訪問に関する文章を以下に記載します。
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現在、留学中のJISPA奨学生
私はJISPAのみに応募しました。それは第一に、私がそれまでIMFやそこで働く人々と数多くのよい出会いを経験していたことにあります。最も忘れられない出来事は、私の所属していた部門がDSGEモデルを開発しようとした際に、IMFの様々なエコノミストから、モデルを作るという観点以外に、尊い励ましの言葉を含む多くの支援をもらいました。
ニクソン・カボーテ氏はフィリピン国家経済開発庁から派遣され、東京大学で学ぶ2013-15学年度JISPA奨学生です。写真を撮ることと日本文学を英語で読むことが好きです(芥川龍之介、川端康成、現代作家では村上春樹など)。
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修士論文発表会についての奨学生のコメント:日本-IMF アジア奨学金プログラム(JISPA)に対して、JISPA奨学生となり、2015年6月23日に開催された「IMF-OAP JISPA修士論文発表会」に参加する機会を与えて下さったことに、心からの謝意を表したいと思います。また、経済問題に関する研究成果の発表の場をJISPA奨学生のために用意してくれたIMF-OAPの取り組みにも感謝しています。JISPA修士論文発表会はしっかりと組織されたイベントであり、今後もより多くのテーマや経済問題を取り上げながら継続されていくことを願います。
修士論文発表会の後、奨学生が無事に学業を修了したことを祝う送別会が開催されました。ヴィブルスリサージャ・タンヤラク氏とアシュラフベク・オリモフ氏はスピーチを行い、日本政府、IMFおよび諸大学から受けた支援に対する感謝を述べ、学業に邁進するよう後輩たちを激励しました。
卒業式および受賞者: 国際大学(6月26日)および一橋大学(7月31日)において卒業式が行われました。フン・グエン・ヴァン氏(ベトナム国立銀行)、サリ・ラン氏(カンボジア国立銀行)、タン・タン・ソー氏(ミャンマー中央銀行)の3名のJISPA奨学生が研究科長賞を受賞しました。一橋大学では、クラストップのGPAを取得した生徒に付与される成績優秀賞がアンチャリー・シリカネラット氏(タイ中央銀行)とユエ・ティアンハオ氏(中国銀行業監督管理委員会)に授与されました。
オリエンテーション・プログラム: 新規JISPA奨学生30名が、2015年7月13日から開始されたオリエンテーション・プログラム(以下OP)の英語コースに参加しましました。英語を公用語とする国から派遣された他の5名は数学/計量経済学入門コースに参加しました。また、OAPスタッフと日本の財務省職員1名が8月20日に国際大学を訪問しました。授業を見学後、同スタッフと職員は教職員と会合し、関連する諸問題および来年のOPの構成について議論しました。この訪問の間、OAP次長ジョバンニ・ガネリ氏は「グローバル経済におけるIMFの役割」について講義し、続いてOAPのプログラム・マネジャーである金彩香氏がIMFとJISPAに対する日本政府の貢献に関するプレゼンテーションを行いました。これに続く質疑応答セッションでは、奨学生がIMFによるクォータ改革とJISPAでの要件について質問しました。奨学生はまた、OPが提供するコースおよび環境に非常に満足していると述べました。
私は中国人民銀行分行の外国為替業務部門で次長を務めた経験がありました。JISPA修了後は同行の海外事務所勤務者に選ばれるという機会に恵まれました。私がこの機会を得られたのはJISPAのおかげです。本プログラムは学術的な知識だけでなく、国際的なコミュニケーションを経験する機会を私に与えてくれました。
私は、日本の国際大学の修士課程で国際開発学を専攻しました。そこで学んだことにより、中国が改革を成功させるために進むべき道、また今後どのような政策が適用可能かということについて理解を深めることができました。日本は素晴らしい国です。日本での生活は大変便利です。新潟のスキーリゾートは世界一ですが、雪のシーズンが長すぎます(笑)
他の幾つかの国と同じく日本も高齢化の問題に直面しています。世界中から有能な人材を集め、活力に満ちた労働市場を維持しようと各国がしのぎを削っています。日本がもう少し柔軟でオープンな労働政策を採用すれば、海外からより多くの人材と労働者を惹きつけることができ、一層魅力的で活力のある国になれると思います。
私は、実体経済が回復する例をこの目で見るために、地元企業の福島製鋼株式会社を訪問しました。同社は地震で大きな被害を受けました。溶鉱炉が稼働中に急停止したため、生産ラインが完全にストップしました。全従業員の努力と取引先の支援により、同社はわずか1カ月以内に素早く生産を再開し、自然災害に遭いながらも奇跡的な成功を遂げたのです。
私が福島を訪問してから3年以上が経ち、震災に関する詳細の一部は私の記憶から薄れつつあるかもしれませんが、私の心に今なお鮮明に残っているのは、自然災害を受けて困難に直面しても、冷静さを保ち、強い意志を持って立ち向かった日本人の国民性です。日本中で、日本の人々は、略奪や暴力に走ることなく水や食料、物資の支給を受けるため忍耐強く列に並び、他者を支援して団結力を示しました。日本は1億2800万人の人口を持ち、大規模な地震や津波から火山の噴火に至る長い自然災害の歴史がある国です。こうしたすべてのトラウマを通じて日本人は何度もその逆境から立ち直る力と強い国民性を示してきました。2011年に日本が再び試練を受けたとき、日本人は静かな尊厳と断固たる決意を保ち続け、これらすべての苦難を耐え抜きました。
東京大学での私たちのカリキュラムは経済学が中心です。母国で経済政策を策定する立場を考えると、JISPAの奨学生が精通していなければならない学科です。東京大学で私は、関心のある具体的なトピック、特に金融危機、金融発展と不均衡についてのケーススタディ講座を履修することができました。
ひとつだけあげるのは少し難しいですね。それくらい東京に住むことは素晴らしい出来事の連続だからです。この巨大都市では毎日のように珍しいもの、美しいものに出会うことができます。それはほぼ2年間ここに住んだ今でも変わりません。
東京に来る前は、経済政策を分析することは非常に困難な仕事だと感じていました。本当の意味で信頼できる政策的助言をできるようになるには、膨大な経験と知識が必要だからです。自分のしていることは自国のためという現実を前にすると、うまくやらなくてはと思うプレッシャーはさらに強くなるものです。