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状況の変化に応じて自分の意見に疑問を抱くのはよいことかもしれない。
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記事やその他書物の見解は著者のものであり、必ずしもIMFの方針を反映しているとは限りません。
経済学は多くのことを成し遂げてきた。往々にして自明ではない理論的解釈や、入念でときには説得力のある実証的証拠が数多く存在する。専門家は多くのことを知っており、理解している。しかし今日、経済学者は混乱のなかにいる。われわれは皆、金融危機を予測できず、さらに、市場の有効性を過信するあまり金融危機を助長してしまったのかもしれない。構造や影響力について思っていたほど理解していなかった金融市場については特にそうだ。最近のマクロ経済での出来事はたしかに異例であり、専門家同士が口論を繰り広げる光景のなかで、せいぜい一致するのは他者の間違いというものだ。ノーベル経済学賞受賞者たちがストックホルムでの授賞式で互いの研究を非難し合うことはいまや世間の知るところであるが、物事を正しく理解することで賞が与えられると信じている科学分野の受賞者たちにとっては理解しがたいものだ。
他の多くの人たちと同じように、私も最近考えが変わってきていることに気づいた。これは半世紀以上にわたって経済学に実践的に携わってきた人間にとっては当惑するプロセスである。本質的なトピックについてはこれから述べるが、まずは一般的な失敗から説明しよう。一部の議論でよくみられる汚職疑惑は含めない。そうであっても、この半世紀で大成功を収めた経済学者には、現在の資本主義に既得権益を持っているとして非難の矛先が向けられるのも当然かもしれない。また、私が書いているのは(おそらく漠然とした)主流派についてであり、主流派でない経済学者もたくさんいることを言っておかなければならない。
同世代の多くの人々と同様、私は長い間労働組合を経済的な(そしてしばしば個人的な)効率を妨げる厄介モノとみなし、ゆっくりと終焉を迎えることを歓迎していた。しかし今日、大企業は労働条件や賃金、ワシントンの政策決定に対して圧倒的な力を持っており、労働組合は現在、企業のロビイストに比べてほとんど発言力がない。労働組合はかつて組合員や非組合員の賃金を引き上げ、多くの場所で社会資本の重要な部分を占め、職場や地方自治体、州政府、連邦政府で働く人々に政治的権力をもたらした。労働組合の衰退は、賃金シェアの低下、経営者と労働者の格差拡大、コミュニティ破壊、ポピュリズムの台頭の原因となっている。ダロン・アセモグルとサイモン・ジョンソンは最近、技術革新の方向性は常にだれが決定権を持つかに依存していると主張している。労働組合は人工知能に関する意思決定に参画しなければならない。普遍的な豊かさのツールとしての技術的変化に対する経済学者の熱意はもはや通用しない(かつて通用したかどうかは別として)。
自由貿易がアメリカの労働者にもたらす恩恵について、私は非常に懐疑的であり、またグローバリゼーションが過去30年間に世界の貧困を大幅に削減することに貢献したという、かつて私や他の人々がなした主張にも懐疑的である。また、アメリカの労働者は世界の貧困層よりもはるかに恵まれているのだから、グローバリゼーションによってアメリカの労働者にもたらされた損害は、世界の貧困削減のために支払うべき妥当な代償であるという考えももはや擁護できない。私は、インドにおける貧困削減が世界貿易とはほとんど関係がないと考えている。また、中国における貧困削減は、中国の政策によって国民所得を貯め込むのでなくて、製造業の成長の多くを国内で吸収できるようにしていれば、富裕国の労働者への被害ももっと少なくできたはずだ。私はまた、国内労働者と外国人労働者のトレードオフに関する倫理的判断についても真剣に考えた。苦境にある人々を助ける義務があるのは確かだが、同胞に対しては外国人向けとは異なる義務がある。
私は以前、アメリカへの移民は良いことで、移民には多大な利益があり、国内の低技能労働者にはほとんど、あるいはまったく代償がないという経済学者間でのコンセンサスにほぼ同意していた。現在はもはやそう考えていない。この点については経済学者の見解が一致しているわけではなくて計量経済学的デザインによって形づくられており、それは信頼してもよいかもしれないが、しばしば短期的な結果に基づいている。過去1世紀半の長期にわたる分析によれば、話は違ってくる。アメリカが開放的であった時代は不平等で格差が大きく、国境が閉鎖されたときには格差が大幅に小さくなったが、ハート・セラー法(1965年移民法)以降、外国出生者の割合が金ぴか時代の水準に戻るにつれて再び拡大した。また、工場経営者が望んでいたヨーロッパ系移民を雇うことができていたら、南部の農村から北部の工場への何百万人ものアフリカ系アメリカ人の大移動は起こらなかっただろうとの主張もあり、それは妥当であろう。
かつてアダム・スミスがそうしたように、経済学者は哲学者、歴史学者、社会学者の考えをもっと取り入れることで、恩恵を得ることができるであろう。哲学者、歴史学者、社会学者もおそらく恩恵を受けることであろう。