新たな産業革命となるか

ナイアル・キシテイニー

写真: Mark Harris

Less than a minute(0 words) Read
人工知能は蒸気、電気、コンピューティングに匹敵するかもしれないが、経済的影響が完全に表れるまでには時間がかかることを歴史が示している

18世紀後半に英国で始まった産業革命とともに、経済システムを変革するテクノロジーの第一波が到来した。その後の何世紀にもわたって、新たな革命があり、それぞれが新しい形態のテクノロジーに関連していた。この歴史から、私たちの時代のテクノロジーの急速な進歩についてどのような教訓が得られるか。 

今日の新しいテクノロジーに関する一般的な議論は、AIを活用した科学的ブレークスルーのまばゆい未来のビジョンか、裕福な技術者エリートの傍らで生き残ろうと苦労する時代遅れの労働者のディストピアのいずれかに定まっている。19世紀の鉄道と蒸気動力機械の出現と、20世紀後半の情報通信技術(ICT)の出現は、同様に極端な希望と恐怖を引き起こした。しかし、経済学と歴史を踏まえると、テクノロジーの未来について極端な予測を立てることに慎重になるべきだ。 

基本的な経済原則は、テクノロジーが成長と生活水準に与える影響について、バラ色の展望を示す。テクノロジーは労働者の生産性を高めることにより、労働需要を高め、経済成長を促進し、賃金を押し上げるのだ。この楽観的な見方は、何世紀にもわたる長期的な視点で考えると正しいといえる。過去200年間のテクノロジーの波は、失業率の上昇につながっていない。もしそうなら、今や、数少ない仕事に従事する労働者がわずかに残っている程度だろう。 

しかし、この大まかな流れの中には、いくつかの複雑要因がある。過去の産業革命に関する古典的な議論は、新しいテクノロジーがどれほど迅速に影響を及ぼすかに焦点を当てているのだ。 

汎用技術 

第一次産業革命は、新しい汎用技術である蒸気動力の出現により、経済的に大きな意味がった。単にパン屋にとって効率が上がる良いオーブンとは異なり、汎用技術には多くの用途があり、経済全体の生産性を上げる。19世紀後半に始まった第二次産業革命は、別の汎用技術である電気を導入し、20世紀後半に始まった第3次産業革命は、さらに別の汎用技術、ICTを導入した。産業革命はまた、「発明の方法の発明」と呼ばれるものを生み出した。第一次産業革命では、それは科学的知識と有用な製品の創出の間のギャップを埋める方法を見つけることだった。 

AIは、商品やサービスの生産において、根本的に新しい可能性を生み出し、多くの分野で幅広い用途があるため、明確な汎用技術といえるだろう。また、アイディアを思いつくための斬新な方法も含まれるため、それ自体が新しい発明方法となる。私たちは、以前の革命と同じくらい画期的な第次産業革命の真っ只中にいるのかもしれない。

新しい汎用技術が産業革命の原則である場合、それが効果を発揮するにはどのくらい時間がかかるのだろうか。経済史家ニコラス・クラフツ は、19世紀の蒸気の影響が、以前に信じられていたよりも遅く、小さいことを示した。 経済的利益は1830年以降に表れた。これは、当初、蒸気動力部門が経済のごく一部しか占めておらず、生産性の劇的な伸びを促進できなかったためである。そして、汎用技術の恩恵を最大限に享受するためには、広範な経済再編が必要となり、それには時間がかかる。蒸気動力は労働者を工場に移すことを、電動化は生産ラインを刷新することを、ICTは企業の経営機能を再形成することを、意味する 

ソローのパラドックス 

この発見は、近年の生産性の伸びに対する失望感を和らげるだろう。成長経済学のパイオニアであるロバート・ソローはかつて、「 コンピュータの時代は、生産性の統計以外では、どこでも露である」とコメントした。この 「ソローのパラドックス」は、コンピュータと新しい通信技術の出現にもかかわらず、20世紀後半の生産性の伸びが目覚ましくなかったという現実を示している。第一次産業革命の経験を参考にすると、新しいテクノロジーの即時の効果を期待するのは楽観的すぎる。蒸気の初期の影響と比較すると、ICTによる生産性の向上は、実際には、歴史的に前例のないスピードと規模である。明らかに、社会は新しいテクノロジーの経済的可能性をうまく活用するようになっている。

何世紀にもわたって、景気拡大と生活水準の向上は、新しいテクノロジー、つまり経済の供給サイドの進歩からもたらされてきたが、短期的には多くの要因が成長に影響する。一部の経済学者は、とりわけ、2000年代初頭の世界金融危機後において、ここ数十年の成長の鈍化要因として需要の弱さを挙げる。しかし、過去200年間の持続的な経済成長を支えてきた供給サイドの向上でさえ、今では実現しにくいことが示唆されている。経済学者のロバート・ゴードンは、電気や水道などのイノベーションについて、これが20世紀の日常生活や経済に大きな影響を与えたが、技術的には簡単に達成できるものであり、こうした類いのイノベーションがあまり残っていない、と言う。 

歴史は、AIがこの行き詰まりを終わらせることができることを示唆しているだろうか。最近のまばゆい進歩にもかかわらず、AIはまだ初期段階にある。これは、経済における実用化という点で特に言える。AIの生産性への貢献はこれまでのところ控えめであり、すでに 「生産性のパラドックス」と宣言している者もいる。しかし、蒸気、電気、ICTと同様に、AIの可能性を最大限に活かすには、新しい種類の組織と働き方が欠かせない。ICTの経験を参考にするならば、AIの生産性への影響は、一部の愛好家が予測する目覚ましい成長をもたらさなくても、以前の汎用技術の効果よりも早く感じられるだろう。

多年生の恐れ

新しいテクノロジーの影響に関してふたつ目の複雑な要因は、生産性の向上がどのように分配されるかである。産業革命の展開を何世紀にもわたってではなく、10年ごとに見ると、新しいテクノロジーに対する長年の恐怖をかき立て、産業資本主義の批判につながる要素となる、より複雑で暗い状況が明らかになる。19世紀半ば、フリードリヒ・エンゲルスは、産業革命の初期段階で機械が労働者に与えたさまざまな影響に注目した。1760年代のジェニー紡績機の発明により、糸のコストが下がり、布が安くなり、需要が高まった。織工の需要が高まり、この職の賃金が上昇した。 

しかしその後、織物自体の機械化により、労働者 の生活水準が急落した。エンゲルスは、イギリスのマンチェスターの小屋に住む、新しい機械によって労働市場から絞り出されそうな手織り職人たちの様子を観察した。代替の仕事がほとんどない中、彼らが作った織物の多くが「機械での大量生産に吞み込まれ」、彼らは暴落する賃金と18時間労働でかろうじて生き残った  工場では、男性、女性、子供が危険で不健康な職場環境で長時間、機械を動かした。機械と工場制度は労働者階級の生活を苦しめた、とエンゲルスは主張した。

経済史家ロバート・アレン は、エンゲルスによって記述された基本的なパターンを、歴史のデータを使用して示した。産業革命初期の数十年間は、労働者1人あたりの生産高が上がっても、実質賃金は停滞していた。基本的な経済原則に従って賃金が生産性に比例して上昇し始めたのは、19世紀半ば以降からであった。したがって、数世紀よりも短期的な視点は、新しいテクノロジーが、生活水準と賃金に、複雑で矛盾した影響を与えることを示す。

最近の一連の研究で、 ダロン・アセモグルとパスカル・レストレポ が、これらのさまざまな影響をモデル化した。 蒸気動力機械、産業用ロボット、AIなどの新技術は、労働者が行っていた作業を自動化し、労働力の削減、つまり 「解雇効果」につながる。これにより、国民所得に占める労働の割合が低下し、賃金と生産性が切り離されることになる。

復職効果

他の動きが解雇を相殺する。紡績の機械化の恩恵を受けた織工は、ある部門の自動化が、自動化されていない関連職の需要を高める一例である。しかし、労働者を後押しするような効果が、19世紀後半に実際にはっきりと見られ始めた。それが「復職効果」である。これは、人間に機械に対する比較優位を与える新たな作業をテクノロジーが作り出すときに発生する。19世紀から20世紀にかけて、蒸気機関、電気、コンピューターが生産を変革するにつれて、エンジニア、電話交換手、機械技術者、ソフトウェアデザイナーなど、以前は想像もできなかった職が出現した。

こうしたさまざまな影響によって、テクノロジーが引き起こす生産性向上と賃金上昇との間の基本的な経済的つながりが、複雑になっている。テクノロジーが単に労働に取って代わったとしたら、1960年代に経済学者ニコラス・カルドールが確立された有名な経験則(国民所得に占める労働の割合が比較的安定していた)をどう説明できようか。一方、機械で職を失ったすべての労働者に新しい仕事がすぐに出てきた場合、技術的失業とラッダイト運動のようなことは起きなかった。

産業革命の初期段階は、解雇の動きが支配的であり、労働者が打撃を受けた。20世紀になると、復職効果が強くなり、賃金と生活水準が上昇した。しかし、20世紀後半以降、多くの主要国で実質賃金は横ばいで推移している。これも情報化時代の逆説的な側面である。 

アセモグルとレストレポは、多くのICTAIのイノベーションについて、これが新しい種類の作業を生み出すのではなく、自動化を目的としていると指摘する。これによって、労働需要の停滞、賃金の伸び悩み、格差の拡大の問題が悪化し、AIに依存する未来がどのようになるかについての懸念を煽る。両者は、過剰な自動化が生産性を直接損なう危険性さえあると主張している。アセモグルとレストレポは、労働復職型AIを追求することを提唱している。たとえば、教育や医療の分野では、AIツールが個別に調整された学習と治療プログラムに役立つ可能性があり、教師と医師の需要が減るのではなく、増えることになる。

機械の特異性

もっと大きな問いを立てよう。AIが、人間の創造性に取って代わる可能性を考えると、これは以前の汎用技術と根本的に異なるのだろうか。技術者は、AI の「特異性」を指摘する。機械が自ら改善および発明し、人間が不要となり、新しい職の出現による復職がなくなる日が来る、と。 

そのようなシナリオでは、以前の時代との比較が役に立たないのであろうか。恐らくそうではない。AIがそのような新たな領域に到達したとしても、それは必ずしも経済的な特異性、つまり恒久的な生産性向上と人間の陳腐化につながるわけではない。経済学者のウィリアム・ノードハウスは、そのような特異性の可能性について実証的テストを考案し、今の世界がほとんどの条件を満たさないことを示した。なぜなら、経済の大半は情報ではなく物理的なものであり、今後もこの状態が続く可能性が高いからだ。AIが完全に人間を取って代わるには、ポーチドエッグを作り、髪を切り、保育園で泣いている幼児を落ち着かせる方法を学ぶ必要があるのだ。

19世紀初頭と今の時代との大きな違いは、現在は、経済に影響を与えるための政策ツールがあるということだ。イノベーションが重大な市場の失敗をもたらすことはよく知られている。しかし、AIの道筋に関する決断は今、政策当局者や有権者が関心を持つ広範な経済的影響をほとんど考慮しない企業に委ねられている。テクノロジーは、われわれが影響を与えることができる社会的選択肢だ。以前の産業革命の経験を武器に、政府と規制当局は、政治的意思を見いだすことができれば、技術開発の経済的利益が広く共有されるように世を導く動機と手段の両方を有している。

ナイアル・キシテイニー20か国以上の言語に翻訳された本 「若い読者のための経済学史」(A Little History of Economics)の著者であり、ニュースレターGolden Stumpの著者。

記事やその他書物の見解は著者のものであり、必ずしもIMFの方針を反映しているとは限りません。