ジェフ・カーンズが、海運と産業政策が世界経済をどのように形作るかを解明するハーバード大学のミルト・カルプシディ氏を紹介する
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記事やその他書物の見解は著者のものであり、必ずしもIMFの方針を反映しているとは限りません。
エコノミストは長きにわたり、国際貿易に注目してきたが、米ハーバード大学のミルト・カルプシディのおかげで、世界中で数十億トンの商品を物理的に運ぶビジネスにつして、より適切に評価できるようになった。
今世紀の歴史的な混乱がグローバルサプライチェーンの脆弱性を露呈したことで、海運業の重要性が急に浮き彫りになった。海運業は世界的な金融危機の真っ只中の2008年にほぼ崩壊した。その後に、パンデミック、港の混雑、コンテナ不足、紅海での船舶攻撃、スエズやボルチモアなどでの貿易を停滞させた事故、貿易戦争の激化など、次から次へとショックが起こった。
カルプシディは過去10年半にわたり、海運業と、それが支える年間20兆ドル規模の国際貿易を調査してきた。カルプシディの研究は、サプライチェーンから公共政策まで、あらゆる側面に影響を与える隠れたメカニズムを明らかにし、貿易経済学を再形成した。カルプシディと同氏の共同研究者は、輸送費が世界貿易をどのように形作るかを示し、造船に関連する産業政策に由来する歪みに光を当て、特定の水路の重要性を示す。
米イェール大学の経済学教授で元世界銀行チーフエコノミストのピネロピ・ゴールドバーグは、「ミルトの研究は、最先端のミクロ経済学研究が、産業政策の特定と評価などの主要な政策議論にとっていかに重要な情報源となり得るかを例示している」と述べる。「政策に直接関係する学術研究のお手本として広く見なされている」と加えた。
何千年にもわたって船乗り業の象徴的な拠点であるアテネで生まれ育ち、教育を受けたカルプシディは、常に海を愛してきた。アテネは世界の海運業の中心地だ。世界の商船の5分の1はギリシャの船であり、ばら積み貨物船の4分の1と石油タンカーのほぼ3分の1がギリシャのものだ。しかし、海運がカルプシディの研究の明確な焦点になったのは偶然のことだった。
きっかけは、カルプシディが20年前にイェール大学の博士候補者として産業組織を研究していたときのことだった。産業がどのように進化するかについての論文に考えを巡らせていたとき、アテネの幼なじみから船舶市場を紹介され、海上貿易のビジネスとそれが世界経済にどのように影響するかについて学術的に追求してみることにした。
その友人のダナイ・バティは、2007年半ばにカルプトシディと再会した際、船のブローカーとして働いていた。カルプシディはコンテナ輸送について考え始めていたときだった。
「彼女はなんとなくアイディアを持っていて、データを必要としていた」とバティは言う。カルプシディは、船の航路や用船料から、船の規模や商用データベースまで、あらゆるものに興味を持っていた。バティは、新しい世界に光を当てるデータを提供した。
「それは驚異的なデータだった」とカルプシディは言う。「それで何をするかは何年も分からなかった」その後、アテネの地中海の 港であるピレウス港にあるバティの事務所で他の人も交えてさらに会議が行われた。
バティはカルプシディを、自身のメンターであるベテランのブローカー兼コンサルタントであるジョージ・バノスに紹介した。バノスはカルプシディに、データや逸話、そしてイギリスの経済学者マーチン・ストップフォードの教科書、「マリタイム・エコノミクス」を提供した。
カルプシディは「バノスは元々船乗りで、船長となり、その後昇進したため、業界の仕組みをよく知っていた」と言う。バノスは2015年に亡くなった。
カルプシディの研究は、産業政策と、運輸・貿易が経済に広くどのように影響するかというふたつの分野に焦点を当てている。どちらの分野も、後に世界の注目を集めるテーマだが、カルプシディはそこに早く着目した。
カルプシディは、「15年間、海運業の景気変動がどのように起こるか、それらが私たちの周りの世界にどのように影響するか、そして業界のダイナミックな道筋を掘り下げてきた」と語る。「この分野で最も気に入っているのは、それがマクロ経済を反映していること。つまり、より大きなシステムの縮図を研究していること」と述べる。
カルプシディ(43歳)は、「輸送と 理論の間」で育ったと言う。母親はアテネ国際空港の一部などを手掛けた土木技師であり、父親は数学者およびコンピューター科学者である。
カルプシディは学部生として、アテネ大学で経済学を学んだ後、2005年にアテネ経済大学で経済学の修士号を取得した。そして2011年にイェール大学で博士号を取得した。「 American Economic Review」は、ばら積み貨物船の造船にかかる時間が船舶への投資にどのように影響するかについてのカルプシディの論文を発表した。
カルプシディと同じくアテネ生まれで、ボストン大学の経済学教授であり、カルプシディと頻繁に共同研究を進める夫のセオドア・パパジョルジュは「ミルトは、同業者よりもずっと前に物事の重要性を見出す珍しい直感がある」と述べる。エコノミストは海運に注目していなかった、と言う。「彼女は、誰も取り組んでいない問題、しかし掘り下げると非常に重要な問題に惹かれる」
カルプシディは、海運市場は株式市場よりもはるかに乱高下すると述べる。世界金融危機の直前に研究内容を深めるにつれて学んだことだ。「私が船主にインタビューし始めたとき、彼らは皆、興奮していた」と語る。「彼らは海運にとって最適な時期だと思っていて、皆船を買っていた。ただただ熱狂的だった」
その後、市場が崩壊した。ばら積み輸送料の世界的ベンチマーク指標であるバルチック海運指数は、2年間で4倍となった後、2008年末に90%以上急落した。
その後の激変は、「私の 興味を完全に変え」、研究分野を海運に絞った、とカルプシディは言う。危機が悪化する中、帰省するたびに故郷を見るのが辛かった。「アテネの中心街にある私たちのお気に入りの地域が本当に死にかけていた」と振り返る。「いたるところに腐敗感があった」
海運業は落ち込んだ。多くの船が廃棄された。カルプシディの研究は、より多くの専門家にインタビューするにつれて形になってきて、ばら積み輸送と船舶の市場に焦点を絞った。しかし、産業組織と国際貿易が交わる分野を研究する中で、コンテナ輸送の研究は、もっと後になってから着手することになる。
カルプシディは、海上貿易の普遍性と5,000年の歴史にもかかわらず、研究の可能性がまだまだあることを示した。輸送市場が貿易財の世界市場とどのように相互作用するかについてはまだほとんど知られていない、と言う。
カルプシディは、パパジョルジュと、プリンストン時代からの友人であり共同研究者であるジュリア・ブランカッチョと組んでこの問題に取り組んだ。彼らは、2012年から2016年の間に5,398隻の船を追跡し、12,007件の輸送契約に基づく価格と航路のデータを含むデータセットを収集した。これにより、貨物と船舶のマッチング作業を含む、輸送市場と世界の財貿易の間の相互作用のモデルができた。
その結果を記した論文は、輸送市場をモデル化し、輸送費が世界貿易をどのように形作るかを示すことで、新境地を開拓した。
計量経済学会は、この論文を学術誌で発表し、2022年には「理論とデータに基づいて新しいメカニズムを分析し、経済全体における一般均衡の影響を追跡した優れた例 」として、2年に1回のフリッシュメダルを授与した。
このデータとモデルにより、大きな輸出国など、一方向の需要しかない航路を通る船舶の影響などの実験ができるようになった。結果、非対称的な輸送コストと二国間の貿易不均衡に関連性を見出した。また、船が半分近くの場合、空のまま運航することも発見した。
このモデルで、中国の景気減速の影響をシミュレーションすることもできた。輸入が減れば、中国を訪れる船が少なくなり、中国の輸出に打撃となる。この研究は、政策立案者が重要な水路の影響を理解する上でも役立つ。例えば、スエズ運河を閉鎖すれば、世界貿易は3.5%減少し、中東の貿易が4分の1減少し、福祉を測る指標が急低下することになる。
ニューヨーク大学の助教授であるブランカッチョは「この論文には、具体的で、政策に非常に関連するメッセージがある」と、述べる。カルプシディは実験的なアプローチを大切にし、誤りを受け入れる姿勢がある、と言う。「彼女は本物の科学者だ」と語った。「みんなから学びたいという姿勢がある」
産業組織の経済学は多くの場合、ひとつの主要なトレードオフに焦点を当てるが、この研究は、多くの変数を組み込んだ一般均衡モデルを構築するようなものであり、最も重要なメカニズムを特定することが難しかった。「モデルで試行錯誤し、モデルを改良するのに何年もかかった」とカルプシディは述べる。「自分たちも驚く結果だった」
20世紀初頭は、イギリスが世界の造船業を支配していた。戦後初期にはヨーロッパが主導権を握り、次に日本が主導権を握った。世紀の変わり目頃は、韓国が商用船の最大のシェアを生産していた。
中国は、2015年までに世界最大の造船国になるという目標を設定した2002年当初、ほんの小さなプレーヤーだった。どう上りつめたのか。国の補助金を受けた造船所、寛大な融資、その他の支援のおかげだ。
カルプシディは、こうした政策が国内産業と世界市場にどのような影響を与えたかを理解することに着手した。しかし、補助金は複雑である上、多くの場合、不透明である。
カルプシディは、標準的な経済理論で予測できる水準と、データとの間の乖離を特定することにより、補助金を検出するモデルを構築した。彼女は、米ウィスコンシン大学マディソン校に在籍するパネル・ジア・バーウィックとカナダのオンタリオ州クイーンズ大学に在籍するナヒム・ビン・ザフールとの共同研究でこれをさらに発展させ、中国の支援が世界の造船業の構造をどのように変え、日本から市場シェアを奪ったかを示した。
バーウィックは、このプロジェクトには10年以上かかり、中国の産業政策を理解するには、詳細な業界知識を構造的枠組みと統合する必要があったと言う。バーウィックは、カルプシディが 「経済面での強い直感と厳密な方法論的創造性を組み合わせた」と称賛する。
3人の研究は、補助金が多くの弱小造船所を支え、価格をつり上げ、より効率的な生産者を妨げ、政府が非効率な産業政策に多大なコストを負わされる結果になったことを示した。
研究では、こうした政策が非効率な造船所の参入を促し、過剰生産能力に寄与した規模を定量化した。著者らは、国内生産者の利益がわずかにしか増えず、長期的なリターンが補助金総額の18%に過ぎなかった、と記す。
ハーバード大学ケネディスクールの国際政治経済学教授であるダニ・ロドリックは「中国の造船への補助金に関するミルトの研究は、産業政策に関する研究の新たな波の中で最も優れていて、産業政策が研究分野として注目される前に彼女はそれに目を付けた」と述べる。「理論と経験の丁寧な組み合わせにおいて基準を打ち立てた」
最近では、カルプシディはブランカッチョとパパジョルジュと共同で、米国の主要な施設に注目しながら、港湾インフラに投資する最善の方法を模索した。政策への驚くべき教訓は、いかに域内の港がネットワークのように機能するかである。ひとつの港に投資することで、より多くの船がより効率的に貨物を積み込み、再び航海できるようになるため、他の港での混雑を減らすことができるのだ。したがって、設備投資は調整され、対象を絞らなければならない。
経済協力開発機構(OECD)の造船課の責任者であるローラン・ダニエルによると、カルプシディは、エコノミストや政策立案者がグローバルセクター(特に海運と造船の業界)のダイナミクスを理解する上で大きな影響を与えた。「政策当局者にとって、補助金と能力の拡大が、グローバルな競争と貿易パターンをどのように再形成できるかを評価するためのはるかに明確な枠組みとなった」と言う。
ハーバード大学のカルプシディの生徒は、同氏のことを、問題解決ができる忍耐強い人物と見なしている。元教え子であり、米ジョンズ・ホプキンス大学の助教授として就任予定のコンスタンサ・アブインは、「彼女は、行き詰まった時に的確に問題の核心を整理し、研究のテーマを明確にしてくれるだけでなく、大胆なアイディアにも臆せず挑戦するよう後押ししてくれる」と述べる。
ハーバード大学の博士課程の候補者である周奕昕(Yixin Zhou)はカルプシディについて、疑問に対して直接答えを出すのではなく、鋭い質問をすると述べる。
カルプシディの次の優先事項は、ほぼ20年前に興味をそそられたコンテナ輸送に戻ることだ。半世紀以上前に始まったコンテナ輸送は、コスト削減や効率性の向上、グローバル化を可能にすることで貿易に革命をもたらした。カルプシディはこれまでの大半の研究で、ばら積み貨物船を調査してきた。彼女は、ばら積み貨物船が、要請に応じて一か所から別の箇所へと航行するため、タクシーに似ていると言う。所有権は分散化されている。コンテナ船の所有権は一握りの会社に集中しており、コンテナ船は固定ルートをたどるバスのようなものだ。コンテナの価格は入手が難しく、多くの場合非公開で設定されている。
カルプシディは博士課程の候補者としてコンテナ船について学び始めたとき、関連するデータを探したが、見つからなかった。コロンビアビジネススクールのブランカッチョ、パパジョルジュ、ニコラ・ロゼイアと進行中のこの新しい研究に向けた次のステップは、より多くのデータが利用可能になったためにできることだ。
船名、位置、その他のパラメータを送受信する船舶自動識別装置は以前より完全であり、研究者はいくつかの特定のコンテナに関して、レートと経路のサンプルにアクセスできる。
より広義には、カルプシディは、ある産業のショックが経済全体にどのように影響するかを示した。海上貿易が安定して頼りになることが歴史的に当然と考えられていたが、近年では、インフレを含め、貿易が損なわれた場合の影響がいかに深刻であるかが示された。
カルプシディは「貿易と、ジャストインタイム生産、ますます遠方から調達する企業が、大幅に増加しているが、これがうまくいくには、海運業が円滑に機能しなければならない」と述べる。「海運は要するに、経済の要だ。貿易がしたいならば、船が必要なのだ」